熊本家庭裁判所 昭和38年(家)183号 審判 1963年5月25日
申立人 山本清雄(仮氏)
主文
申立人の名「清雄」を「親治」と改名することを許可する。
理由
申立人は主文同旨の審判を求め、事件の実情として、申立人は昭和二七年一〇月申立人の名「留吉」を現在の名である「清雄」に改名することの許可を得たものであるが、その後間もなく肺壊疸にかかり、臥床する様になつたところ或人から名前が悪いといわれ、それが動機となつて「清雄」を「親治」と改め、以来一〇年以上に亘つて通名として同名を称して来た。申立人は菊池市隈府において旅館業を営む者で、熊本市議会議員選挙に立候補予定であるがすでに公私共長年通名を使用して来た為、戸籍上の名をもつては社会的に通用しない状態になつているので、本件申立に及ぶというのである。
申立人の戸籍の謄本によると昭和二七年一〇月一七日申立人の名「留吉」を「清雄」と改名したことが明らかである。よつて本件申立は再度の改名を申立てるものであるから、先ず再度の改名が許されるか否かを検討する。戸籍法第一〇七条は正当な事由ある場合家庭裁判所の許可を得て改名することができる旨規定しているのみであるから、別に再度の改名を許さない旨明文があるわけではない。しかしながら名が個人の表象として氏と共にその人を他の者から識別する機能を果していることに鑑みるなら、その名を度々変えることはその個人に対する社会の同一性の認識を不明確ならしめ、ひいては社会生活上混乱を招くものであるからその本質上原則として許されるべきではないといわなければならない。
唯例外として、再度改名の必要性があり、しかも改名の結果個人の同一性の認識が著しく困難となる様な事情がなくいわゆる社会に実害を及ぼす虞れがない場合には許可することができると考える。
本件について見ると記録に添付してある熊本労働基準局作成の昭和三二年度労災保険納入告知書外三一通の書証及び家事審判官の申立人及び件外宮崎弥熊に対する審問の結果、調査官山口光雄の調査の結果を綜合すると申立人は最初の改名許可後一年位は改名後の名である「清雄」を使用していたが、その間に肺壊疸に罹患しやがて熊本大学病院に入院すること等があつて姓名判断を得た結果「名が悪いそのままでは死ぬから変えねばならない」といわれたことから昭和二八年頃から「親治」と改名し以来事実上は「親治」の名を使用していること、申立人はその頃衣料百貨店、タクシー業の経営を経て昭和三三年一二月より菊池市隈府において旅館「葵ホテル」を経営して現在に至つているが、この間「親治」名に改名後直ちに表札を改め日常生活においては勿論労災保険の納入を始めとして官庁に対する諸申請から、銀行預金、火災保険契約及びその他一切の取引に至るまで生活の殆んど大部分の領域において「親治」名を使用して来たものであることが認められる。
すると、「親治」名使用の期間が約九年余に及び、使用の幅が申立人の社会活動に伴つて広範囲であること、これに比較し先に許可を得て改名した「清雄」名の使用の期間が約一年にすぎないことを考えるなら、むしろ「親治」名に改名した方が却つて社会の認識を混乱せしめないということができる。
尚本件改名の動機は姓名判断によるもので、それは法律上許される正当事由に該らないこと勿論であるが、例え改名の動機は誤つたものであつたにしても他に正当事由を充す要件を具備する以上動機について問うべきではない。
とすると本件は再度改名の必要性があり、しかも改名によつて社会に迷惑を及ぼすものでないことが、明らかであるから本件申立は許可するのが相当であると思料する。よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 土井博子)